2008年10月26日 七尾市武道館の柔道場において能都地区の5つの支部が集まって2008年能登ブロック合同練習が行われました。
最初に学科学習として「命のいろいろ」と題して絵本の読み聞かせを行いました。
1 「いのちのまつり ヌチヌグスージ」(草場一寿/作 平安座資尚/絵)
2 「いのちのおはなし」(日野原 重明/文 村上康成/絵)講談社 2007
後2冊用意していたのですが時間切れとなってしまいました。
参考までに紹介だけしておきます。
3 「こども哲学 人生ってなに?」 (オスカー・ブルニフィエ/文
西宮かおり/訳 ジェローム・リユイエ/絵 重松 清/日本版監修)
朝日出版社 2006
4 「からだを知る本10 いのちってなんだ 生命と細胞」
(浅井利夫/著者 川上洋一/絵)草土文化 1992
1は、命のつながりについての話。「ヌチヌグスージ」とは、沖縄の方言です。
2は、95才の現役のお医者さんが、小学四年生に向けた特別授業を絵本にしたものです。
3は、高学年から中学生向けの哲学入門です。高校生、大人にとっても読みやすい本です。原作はフランス人です。
4は、高学年向けの命を科学的に考えた本です。1〜3とは違った角度からの本です。
この後、場所が柔道場だったので合同練習として受け身を徹底的に行いました。大車輪が上手くできない子、前受身ができない子、後受身が出来ない子、横転より起き上がりが不得意な子と分かれてもらいました。全部できる子には、寝ている人を飛び越えて前受身することに挑戦してもらいました。最後まで成功した子は3人もいました。
最後に参加賞を選んでもらい終了となりました。
これからも面白い企画を考えて実施していけたらと思います。
2008年10月26日日曜日
2008年10月19日日曜日
08教育講演会
10月19日 午後2時より石川県青少年総合研修センターにおいて教育講演会が行われました。講師は、如是庵 庵主の上原 元隆 禅師とライフハーモニー教育研究所所長の位田 隆久 先生でした。
最初に、上原 元隆 禅師による『 我が托鉢人生を語る 』でした。禅師は、十数年間托鉢だけで生活しておられるそうです。
20代前半の女性に声をかけられ「力を下さい」とぎゅっと手を握られて逆に力をいただいた話や、学校帰りの小学生に「おじちゃん何しとるん」と言われて、説法した話。昼食時食堂でうどんを注文すると、その店で一番値段の高い定食が出てきたので「注文したのと違いますよ」と言ったら「どうぞ食べてください」と言われありがたくごちそうになった話など
托鉢をしていて感じる金沢の温かな人柄などの貴重な体験を語ってくださいました。
休憩の後、位田 隆久 先生による「 三つの眼と共感について 」でした。
三つの眼とは、「他人の眼」「自分の眼(良心)」「天の眼」のことである。現在は、「天の眼」が意識されることが無くなってきている。
「他人の眼」だけでは、見つからなければ何をしても良いという考えになってしまう。最近の偽装問題などの報道などを視ていると、この「天の眼」が無くなってきている為ではないだろうか?
「衣食住 足りて礼節を知る」と言うが、テレビなどで頭を下げている会社の社長さんは、十分に衣食住が足りている人達なのではないか?「天の眼」があることを思い出す必要がある。
また、家庭は共感の場である。悲しいことがあったら「悲しいね」と共感し、苦しいことがあったら「苦しいね」と共感し、楽しいことがあったら「楽しいね」と共感することで気持ちがリセットされリフレッシュして明日への元気がわいてくる。
家庭は、外の社会に対応する力を身につけさせるために「天の眼」があることを教え、共感をして社会のプレッシャーに負けない力を与える役割があるのではないかと思います。
最初に、上原 元隆 禅師による『 我が托鉢人生を語る 』でした。禅師は、十数年間托鉢だけで生活しておられるそうです。
20代前半の女性に声をかけられ「力を下さい」とぎゅっと手を握られて逆に力をいただいた話や、学校帰りの小学生に「おじちゃん何しとるん」と言われて、説法した話。昼食時食堂でうどんを注文すると、その店で一番値段の高い定食が出てきたので「注文したのと違いますよ」と言ったら「どうぞ食べてください」と言われありがたくごちそうになった話など
托鉢をしていて感じる金沢の温かな人柄などの貴重な体験を語ってくださいました。
休憩の後、位田 隆久 先生による「 三つの眼と共感について 」でした。
三つの眼とは、「他人の眼」「自分の眼(良心)」「天の眼」のことである。現在は、「天の眼」が意識されることが無くなってきている。
「他人の眼」だけでは、見つからなければ何をしても良いという考えになってしまう。最近の偽装問題などの報道などを視ていると、この「天の眼」が無くなってきている為ではないだろうか?
「衣食住 足りて礼節を知る」と言うが、テレビなどで頭を下げている会社の社長さんは、十分に衣食住が足りている人達なのではないか?「天の眼」があることを思い出す必要がある。
また、家庭は共感の場である。悲しいことがあったら「悲しいね」と共感し、苦しいことがあったら「苦しいね」と共感し、楽しいことがあったら「楽しいね」と共感することで気持ちがリセットされリフレッシュして明日への元気がわいてくる。
家庭は、外の社会に対応する力を身につけさせるために「天の眼」があることを教え、共感をして社会のプレッシャーに負けない力を与える役割があるのではないかと思います。
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