秋吉 好美 先生
藤井 省吾 先生
中央講師は、秋吉 好美(あきよし よしみ)先生 大範士九段(名誉本部委員 多摩豊田道院長、学習院大学監督)と藤井 省吾(ふじい しょうご)先生 正範士七段(東京大塚道院長、金剛禅総本山少林寺東京別院長)
地方講師は、安田 嘉昌(やすだ よしまさ)先生 正範士八段(加賀梯道院長、金剛禅総本山少林寺名誉役員)と新谷 成智(しんたに なりとも) 先生 準範士六段
(金沢東道院長、金沢高校少林寺拳法部監督、金沢大学少林寺拳法部監督)
講義Ⅰ 担当:秋吉先生
テーマ:少林寺拳法を始めたきっかけ、開祖との出会い
少林寺拳法との出会いは、京都別院
不純な動機から 強くなりたい、いじめられたくないという動機で始めた
高校では武道は柔道しかなく、少林寺拳法が何であるかも知らないままに京都別院の門を叩いた。入門するには保証人が必要であったが、いるはずも無く、開祖に保証人になってもらった。続けられたのは、柔道とは違う不思議な気がして、夢中になった。
その後、後輩を教える機会があった。教えるときに伝わる経験を重ねると、段々に喜びややりがいになっていった。自分さえ良ければよいという自分勝手な考えから、仲間と共に協力するという考えに変わっていた。知らない間に開祖に導かれて変わってきたのかもしれない。
本山へ指導者講習会に行くと開祖の講義があるのだが、熱を帯びてくると2時間にも3時間でもなる事がある。当時、指導者と言っても20代の若造ばかりでしたから、開祖はさぞかし心配だったでしょう。指導者として何とか一人前にしたかたのでしょう。失敗談もありましたが、開祖からは怒られたと言うより気づかされた出来事が多い。開祖の人間教育だったのか?
転勤で京都から東京に行くこととなった。まだ東京には、一つか二つしか道院が無い頃である。練習場所も定まらず、修練場所が毎回変わっていた。大変な思いもしたが、拳士皆が団結していたように思う。副産物として東京の地理には詳しくなった。
指導者となってからは、我慢することも経験した。また、仲間作りの大切さも学んだ。門下生と向き合うためにも指導者として踏ん張る時は、踏ん張らなければならない。
少林寺拳法をここまで続けている理由は、指導者として面白みを感じているから 責任感もありますが、何より仲間が増えると 嬉しく、楽しく、頼もしく 共に成長していく楽しみがある。若い人の成長が楽しみ。これを皆さんにも伝えたい。
自分さえ良ければよいという考えから、指導者として人の成長を楽しめるまでに変わって来れたのも開祖の導きのもと少林寺拳法を続けてきたからだと思います。
講義Ⅱ 担当:藤井先生
テーマ:少林寺拳法への取り組みについて 講義資料あり
可能性の種子
仁愛(慈悲心)、英知(智慧)、勇気(意志の力)、健康(生命力)
これらは、人がもともと持っている「質」である。但し、これらが芽を出して育ち発展するかは分からない。環境や教育、出会い、気づきなど「縁」が必要となる。
少林寺拳法の修行を通じてこれら「人の質」を引き出す様に指導していかなければならない。
少林寺拳法の修行法
身心一如(拳禅一如)心と体、相対研鑽(組手主体)二人で、漸々修学(長く修行する)
体の行いを通して、心の深い所までコントロールするのが修行(深層心理を整える)
鎮魂行は、声を合わせて唱和するのも自己調整(我欲をコントロール)し、気持ちを整えて、気の流れを整え、力を合わせて、繋がっていく。
組手主体の仕掛け
半ばは他人の幸せを 相手がいないと上手くなれない
協力して上手くなる→さらに上達するには、相手にも上手くなってもらはないと、自分の上達も無い。
少林寺拳法を更に発展させるためには、指導者を育て、増やしていかなければならない。
*自分のメモから文章を起こしましたので、聞き違いや思い違いもあるかもしれません。
テーマ:少林寺拳法を始めたきっかけ、開祖との出会い
少林寺拳法との出会いは、京都別院
不純な動機から 強くなりたい、いじめられたくないという動機で始めた
高校では武道は柔道しかなく、少林寺拳法が何であるかも知らないままに京都別院の門を叩いた。入門するには保証人が必要であったが、いるはずも無く、開祖に保証人になってもらった。続けられたのは、柔道とは違う不思議な気がして、夢中になった。
その後、後輩を教える機会があった。教えるときに伝わる経験を重ねると、段々に喜びややりがいになっていった。自分さえ良ければよいという自分勝手な考えから、仲間と共に協力するという考えに変わっていた。知らない間に開祖に導かれて変わってきたのかもしれない。
本山へ指導者講習会に行くと開祖の講義があるのだが、熱を帯びてくると2時間にも3時間でもなる事がある。当時、指導者と言っても20代の若造ばかりでしたから、開祖はさぞかし心配だったでしょう。指導者として何とか一人前にしたかたのでしょう。失敗談もありましたが、開祖からは怒られたと言うより気づかされた出来事が多い。開祖の人間教育だったのか?
転勤で京都から東京に行くこととなった。まだ東京には、一つか二つしか道院が無い頃である。練習場所も定まらず、修練場所が毎回変わっていた。大変な思いもしたが、拳士皆が団結していたように思う。副産物として東京の地理には詳しくなった。
指導者となってからは、我慢することも経験した。また、仲間作りの大切さも学んだ。門下生と向き合うためにも指導者として踏ん張る時は、踏ん張らなければならない。
少林寺拳法をここまで続けている理由は、指導者として面白みを感じているから 責任感もありますが、何より仲間が増えると 嬉しく、楽しく、頼もしく 共に成長していく楽しみがある。若い人の成長が楽しみ。これを皆さんにも伝えたい。
自分さえ良ければよいという考えから、指導者として人の成長を楽しめるまでに変わって来れたのも開祖の導きのもと少林寺拳法を続けてきたからだと思います。
講義Ⅱ 担当:藤井先生
テーマ:少林寺拳法への取り組みについて 講義資料あり
可能性の種子
仁愛(慈悲心)、英知(智慧)、勇気(意志の力)、健康(生命力)
これらは、人がもともと持っている「質」である。但し、これらが芽を出して育ち発展するかは分からない。環境や教育、出会い、気づきなど「縁」が必要となる。
少林寺拳法の修行を通じてこれら「人の質」を引き出す様に指導していかなければならない。
少林寺拳法の修行法
身心一如(拳禅一如)心と体、相対研鑽(組手主体)二人で、漸々修学(長く修行する)
体の行いを通して、心の深い所までコントロールするのが修行(深層心理を整える)
鎮魂行は、声を合わせて唱和するのも自己調整(我欲をコントロール)し、気持ちを整えて、気の流れを整え、力を合わせて、繋がっていく。
組手主体の仕掛け
半ばは他人の幸せを 相手がいないと上手くなれない
協力して上手くなる→さらに上達するには、相手にも上手くなってもらはないと、自分の上達も無い。
少林寺拳法を更に発展させるためには、指導者を育て、増やしていかなければならない。
*自分のメモから文章を起こしましたので、聞き違いや思い違いもあるかもしれません。