今回の法話は、中能登スポーツ少年団支部 木下支部長でした。
皆さん、バリアフリーという言葉を聞いたことはないでしょうか?バリアーとは、障壁、壁のことですね。フリーということは、無い、自由という意味ですね。つまり、障壁が無い状態と言う事です。
最近は、公共の建物や住宅などで「ここは、バリアフリーに対応した建物である」とか聞いたことがないでしょうか?段差を無くしたり、スロープを設置したりしてありますよね。
バリアフリーの世の中とは、それだけではありません。心の問題もあります。
困っている人を助けたいと思っていても、最初の一歩の勇気が無くて、行動に移せないことがよくあります。これもバリアの一種だと思いませんか?
少林寺拳法の拳士は、バリアフリーにして、困っている人がいたら、行動していかなければならないと考えます。皆さんどうですか?
法話の内容を要約して書いています。もう少し様々な例を話されていました。
個人的な感想ですが、バリアフリーの意味には、社会的に取り組みとして、物理的な障壁を無くしていこうとする意味と、偏見などの心的なバリアを無くしていこうとする意味が、もともとあります。
木下支部長は、少しニュアンスが違う心のバリアを話されていましたが、自分の中にできた障壁を自分で乗り越えていこうとする考えに共感します。
ちなみに、社会的取り組みで、ノーマライゼーションという考え方もあります。これは、普通の人が普通に行うことは、障害があろうが無かろうが、どのような場所でも、誰でもあたりまえにできる様な世の中にしていこういう思想です。ここから、バリアフリー、ユニバーサルデザインなどの考え方が生まれてきました。これらは、リハビリテーションの思想です。